1575.論語下論の曾子 (下)

1575.論語下論の曾子 (下) :2011/6/19(日) 午前 11:27作成分再掲。

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論語下論(斉・孔門志士系)は曾子に対して徹底して皮肉で批判的です。

論語下論では「魯の曾子=魯(アホ)」ということが分かってもらえば結構・それで尽きている、という印象で、これ以下は曾子については真っ当な引用はない(当たり前です、アホの言うことなど聞きたくもない!、笑)のです。
それでも、念には念を注意しながら下論の曾子を確認しておきましょう。バカにし小間使い扱いしていることが本当に見て取れるのです。

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曾子は「魯」(アホ)以外で、曾子の句はまず憲問第14に一本;ですが、古注と新注が違う、大変読みにくい句、です。
#359(14の27)=#198(8の14)の

子曰。不在其位、不謀其政。=その位にあらざればその政を謀らず。
#360(14の28)の

曾子曰。君子思不出其位。=君子の思いはその位を出でず。
まず吉川さんの注から(要約文責rac)。

「古注系統の本は#359と#360を(続く)一句とし、新注は#360を別句とする。

#359は泰伯第8にも全く同じ#198があり、新注によれば単純な重出である。

古注によれば、孔子の#198を曾子が演繹したもの。

ところで、#360は易の艮(ごん、うしとら)の卦の象伝(しょうでん)にみえる。孔子易経につけた注釈とされる。

新注では曾子がそれを引いた(だけ)なので別に記録したとする。ただし古注では易との関係を言わない。」


どう読まれるか?⇒
(1)まず句の意味自体は難しくはない・・です。

(通説的現代語訳)孔子は言った「地位と職務は相即したものでその地位にいない限り、その職務をとやかく考えない、おせっかいしない。」(吉川さん訳)曾子は言った「君子は地位を出て(身分不相応なことは)考えない。」(宮崎さん訳、吉川さんにはない)


(2)問題は、古注のように1句か、新注のように2句か=これはつながるのか?同じことをいっているのか?並べる意図はなにか?

rac的には、#359と#360は同じことをいっているとも吉川さんのいう演繹とも読めないのです。

孔子の#359=#198は君子というよりも、士大夫(官僚)か組織人のマナーです;孔子はそういう礼儀のつもりで言っている。・・君子はもう少し先、高いところにいる。#360の曾子は、地位を出ては考えない、しかもそれが君子、とまでいった。孔子は地位を出るとか越えるとか身分不相応とか、まして君子、など一言も言っていない。職務や地位や職制があるから尊重せよ、邪魔するな、それが組織の安定、といっているだけ。・・微妙だが全然違う、と思うのです。


②古注通り、#359と#360が一本なら、演繹というより、孔子曾子がいかに違うかを言いたくてこれをもってきた、とracはみておきたい。

孔門志士派は民間塾徒だが君子としての自負の強い人々、浪人であるにもかかわらず天下国家政治をいつも考えていた。孔子も子貢もそうです。ネットワーク型の人々(朋)だが体制上下的組織人、ではない。地位がないから分不相応なことを考えるな、それが君子、といわれては、孔門志士派の全面否定です。(魯で塾を継承し弟子を教えている)オタクの曾子孔子先生の言っていることを全く理解していなかった、アホ(魯)の一例として持ってきている、と読みます。

新注の立場も、この2句は同じことを言っていない、とみて分けたのでしょう。


③吉川さん指摘どおり、易の象に「君子以思不出其位」とあり「以」の有無はあるがまあ同文です。・・これはどう見ればいいのか?

「象」の文章だから古くて、孔子曾子以前の可能性がある、孔子が書いたという伝承もある・・だとしたら、曾子剽窃し自分の名で語ったことになる。ですが、いくらアホの曾子でもそんなことはしなかろうから、むしろ歴史事実としては曾子の句を易の側が援用した、と読む。・・ただし、艮(ごん、うしとら)=止・山々が塞ぐ・その身を獲ず=日本では鬼門、で易の世界でもあまり良い意味ではない。・・孔子の#359とは違う世界と易でも理解した、ということ。
⇒帝国安定身分秩序世界になって、#359と#360が似たものとか演繹とかみなされることは理解できるが、孔子から子貢曾子の時代にあっては、曾子の理解が如何に無批判でアンチョコな組織身分固定的であるか(孔門志士派は、諸侯のために私利私欲の大夫クラスの専横を排する、あるいは周朝秩序回復の天下和平を図る、その秩序観はあくまで批判的で天道志向です)を、比較説明するための句であった、つまり、曾子はやはり魯(血の巡りの悪いヤツ)といっている、とみます。

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現伝論語下論子張第19に、曾子曰く、が3本あります。
並べます。

曾子曰く、堂堂たるかな、張(=子張)や、与(とも)に並んで仁を為し難し。(#487、19の16)
(現代語訳)曾子はいった「子張は堂々たる者だ、しかし、一緒に仁をなすことはできない(男だ)」と。
曾子曰く、吾は諸(これ)を夫子(ふうし=孔子)に聞く。人、未だ自ら致す者有らざるなり、必ずや親の喪か、と。(#488、19の17)
(現代語訳)曾子は言った「孔子先生はこういっていた、ひとはなかなか全身全霊でものごとはできないものだ、あるとすれば親が死んだときの嘆きくらいだ」と。
曾子曰く、吾は諸(これ)を夫子(ふうし=孔子)に聞く。孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり。その父の臣と父の政とを改めざるは、これ能(よ)くし難(がた)きなり、と。(#489,19の18)
(現代語訳)曾子は言った「孔子先生はこういっていた、孟荘子の孝行は有名だがたいていのことは真似できる、が、父親の家臣と政治をそのまま継続したことは真似できないことだ。」と。
⇒子張篇も弟子たちの句集=スナップ写真集ですが、曾子有子子貢らのもう一世代あとの、孔門学窓派内の子夏子游子張の拮抗(子張が塾をついで?、子夏は西の魏へ、子游は南方江南へ、去る)時の記録の残渣、でもあるとみます。

⇒で、#487は、子張はダメと子游がいっている(#486)次の句で、魯の孫弟子たちを意識して、オタクたちのボスの曾子先生もやはり子張はダメ、といっていたよ、と主張したいだけ。・・曾子は利用されているだけ。

⇒#488#489の曾子孔子の句の単なるメッセンジャーボーイ。内容はいかにも曾子らしいが、・・なんのための句か?上の象も気にはなりやはり曾子は自分の言葉と弟子に教えてでもしていたのか?それは名言だがもともとは孔子の句なのだよ、と主張しているようにもみえます。

いずれも、曾子は魯鈍で斉・志士派とは全く違う考え方とし、もともとは見事なほどにバカにし皮肉や批判を並べていた(らしい)ことが窺えます。これが下論=原斉本=オリジナルは孔門志士派の立場、の一貫した曾子評、とみます。
(つづく)

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