1570.先進篇の本質

1570.先進篇らの本質 :2011/6/15(水) 午前 11:18作成分再掲。

論語上論10篇の最初と最後=学而篇第一、郷党篇第十につづき、先進篇第十一、を読みます。先進篇は下論10篇の筆頭です。武内さんB本にならい、細かなところはともかく基本「上論10篇は魯系、下論10篇は斉系」と見ます。

--------------------------------------------------------------------------------

論語が他のこの種のご本と比べ特徴的なのは、弟子や知人の論評が大変に多いことです。英雄や有名人を語るのはどこにでもあることですが、論語は弟子や知人の身近な人たちのことを、その発言を通じて、あるいは孔子との問答や孔子のコメントを率直に悪口も含めて、書きます。それぞれの特徴を巧みに捉え、よくできたスナップ写真集の趣があるのです。弟子達のスナップ集は上論では主に「公冶長篇と雍也篇」であり、下論では主に「先進篇と顔淵篇」です。


⇒ところが面白いことに、魯系上論の公冶長や雍也篇だからといって素直に魯系で孔門学窓派のことを書くそして斉系下論だからといって孔門志士派のことを書くか、というとそうではない。登場人物は主に孔門直弟子たちが殆どで、だから、どうしても志士派(=ほぼ孔門十哲)が多い。で、その引用は魯系では彼等の発言や孔子コメを通じて、その理解が十分でないとか、悪く低く、言っているものが多い。斉本では志士派を認め誉めているものが多い。

孔門学窓派の代表の曾子あたりについては逆で、魯系が誉める、斉系が浅くあるいは悪く言う。

そしてどちらも悪く書かないのが顔回あたり。孔子が大変愛したことは間違いないが具体的によく見えない、だから、魯系も斉系も良く書くにも悪く書くにもどうも材料がなかった節もあり、結局両陣営とも孔子の嘆きばかりを書くからどうにも偉い人らしい、という一方的印象ばかり残る。


スナップ写真なので、笑顔のいいところばかりではない、居眠りしたり失敗したり、それでもなるほど「彼」らしい、こうして逆に読者に「彼」のイメージが自ずと形成される。・・おそらく沢山の写真(句)がこのほかにもあった、でしょう。


まずは、学窓派直弟子(=魯本の編集委員)たちが相談しながら、これは彼らしいというものを選んでいる、志士派の子路子貢などのことを良いも悪いもよ~く見知っている人たちが編集している。・・身内の学窓派魯派についてはいい写真をえらび、エネルギッシュにやったが結局失敗した志士派子貢や子路などについては変な写真を選んだ。これが公冶長と雍也篇(のオリジナル)です。それを知った旧志士派は斉で同じ要領で原斉本を作った。「結果は失敗だったが志士派だってバカだったわけではない、むしろバカは学窓派と先生はいっていたよ。」の気持ちです。・・こちらも子貢は晩年、まだ生きていた気がする。これが先進と顔淵篇(のオリジナル)です。お互い敵味方(学窓派と志士派)に分かれたから辛らつでくそみそのショットもある。・・直弟子世代の多くがまだ生きている時にこの辺までは魯本と斉本の両「原論語」はできていた、とみます。そうでないと相手派を意識しながらのこんな面白いスナップ写真集はできない。

変な写真(句)だなと思っても、いずれも大先生孔子の観察(孔子の評であり言葉であり文字通り写真です)だということはお互い知っているからデリートもできずついついそのまま残した。だから、残った。それで、いまでも、当時の名残を少しは窺える、そんな印象なのです。

その後さまざまな経緯があって二派二種類のスナップ写真集は、それぞれ下手な写真が加わったり、友人知人の写真も入ったり、背景風景写真を入れたり、どうもお互い気に入ったのか魯斉間で一部写真が入れ替わったり(笑い)、・・で沢山の例外もあるのですが、

・・そういう目で一度読んでみてください!!


⇒どうもうまく説明できないのですが、忠恕派と礼法派というような学窓派内のセクト的な内輪もめ?などとは、レベルも、規模も、違う。・・塾長に曾子がなろうが有子がなろうがそんなことには子貢らには関心はない。はるかに理想を追い現実変革を企図した追かけた。確かに失敗した、孔子は嘆き、子貢は諦めたかもしれない、しかし生き様に後悔はしていない。

・・学窓派(魯派)と志士派(斉派)はお互いを認めている・・違う世界と納得しあっている・・上下とも大小とも違う。孔子にはこの2面がある。そして確かに両者には孔子を巡って対抗意識はある、だけどお互い楽しんでもいる。・・だから後世、魯本と斉本が一緒に合わさってもちゃんと読める・・決定的な矛盾はない、お互いくそみそのスナップ写真でもいやらしさがない・・これが孔子なんだろうな、とちゃんと読める。

両方見てやらねばならない、その意味では鄭玄以下の今に至るまで所謂儒家は(愚かというよりも体制の制約もあって、でしょう)明らかに一面しか見れていない。

・・そんな感じなのです。・・これが論語孔子の、今読むべき、真の姿です。

--------------------------------------------------------------------------------


さて、先進十一は、斉本の①原学而篇と②原郷党篇の直後③にあった可能性を見ます。
⇒繰り返すとおり、原学而篇は孔子の根本思想、原郷党篇は礼法マニュアルです、この二篇で孔子言行のポイントは尽きている(武内さんB本趣旨のひとつ)。そして、この礼法マニュアルについては、孔門志士派も決して否定はしなかった。なにより、彼等が南方大国の呉や越で強い立場でいられた武器の一つだからです、文化のコンテンツです。彼等はまずは周正統文化礼法の先生であった。彼等の礼法は中原では斉晏嬰のように「滑稽でお金の無駄遣い」といわれることはあっても、南蛮東夷の呉王夫差や越王勾践には効果があった・・かれらのコンプレックスを突くに有効だった。


原斉本は①原学而篇(根本思想)→②原郷党篇(礼法)→③原先進篇(弟子達)、と並んでいた、とみえるのです。③は大事な朋=弟子達知人達の発言や描写、の冒頭なのです。

--------------------------------------------------------------------------------

で、現伝先進の第一句は↓です。

子曰。先進於禮樂、野人也。後進於禮樂、君子也。如用之、則吾從先進。(先進10の1、#254)
(読み下し)

先進の禮樂におけるは野人なり。後進の禮樂におけるは君子なり。もしこれを用いるなら、吾は先進に従わん。

(通説和訳)

昔の人の礼楽は田舎者風であった、今の人たちの礼楽は紳士文化人風だ。どちらを使うかというなら、自分孔子は昔風がいい。
⇒先進は古代周、後進は孔子の時代、とも読めるでしょうが、孔子が若いころ魯衛で磨き南方呉越楚で礼楽も教授した孔子孔門十哲時代を先進、孔子が魯に引っ込み晩年時代、魯衛に残っていた孔門学窓派の洗練され都会風の礼楽が後進、と読みます。

⇒そして、この句が前記事の郷党篇最後の雌雉の話につづいていた。・・魯の学窓派が纏めた几帳面な原郷党篇のなかみ(ギンギン・カンカンなどだけではよく分からない=まじめに実技指導をしていたのでしょう)を、おそらく、ここでも茶化しているのです。・・「それもいいんだよ、だけど、孔子先生はこうも言っている。昔風がいい、南蛮東夷の呉越楚で教えた野人風がいい、ともいっていたよ。」です。

⇒もっと突っ込んで読むなら「礼儀作法の面では、先進志士派は野人だったなあ、今の後進学窓派は君子だなあ。しかし一緒に仕事をするなら、先進志士派と一緒がいい」も、あり、でしょう。


⇒雉の話も、三省とか三度辞退とかいう滑稽さに対して、野人孔門志士派たちは、孔子子路かどちらでもいい(通説の孔子ならなおおかしい)に雉肉を三度嗅がせて、食い時かどうか、の談義をさせているのです。*おかしいのです、論語も可笑しいところは笑っていいのです。

ジビエでは、雉は雄より雌が旨い、また「フザンダージュ(faisandage)と呼ばれる熟成を経て、肉が腐りかける寸前の最高に旨味が出た時に食べる。」そうです。・・子路孔子も「時哉時哉」=タイミングにこだわるはずです(笑い)。
http://majin.myhome.cx/pot-au-feu/dataroom/foods/meats/gibier/gibier.html

--------------------------------------------------------------------------------

⇒そして、先進篇の第二句は、例の陳蔡同行者、なつかしいなあ・・孔門十哲リストです。・・話がすべてスムースに流れるのです。

子曰。從我於陳蔡者、皆不及門也。徳行、顏淵・閔子騫冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏。 (先進10の2、#255)
⇒今まで触れることがありませんでしたが、ここでいう「徳行」こそ、呉越あるいは楚の野蛮国で、王や卿や大夫や士たちに、孔門流の礼法を身をもって教えた人たちなのです。さまざまな意味でこれが大事、だから(子路や子貢より)始めに持ってきているのです。

⇒むしろ気持ちは、今魯で難しい顔して塾を継ぎ先生面の曾子や有子などは「最も元気で行動した当時、うちら孔門志士派の正式メンバーではなかったんだよ。事実、孔子先生には当時を懐かしがり固有名詞名指しの句、もあるけど、曾子も有子もそこにはないよ。」です、斉本孔門志士派の主張です。結構子供じみた対抗意識というべきかもしれません。

(つづく)

UNQT