1573.論語上論より子貢論

1573.論語上論より子貢論:2011/6/17(金) 午後 3:21作成分再掲。

QT

承前。論語上論=ほぼ魯本で孔門学窓派、から、子貢関連の句を引用します。

既に紹介の現伝学而篇の中の2篇は、斉本・孔門志士派の立場ですから、これを別にすると、頭から順に以下の通りです。

--------------------------------------------------------------------------------

為政篇第二から1句#29(2の13)
子貢、君子を問う。子曰く、先ずその言を行い、而る後に之に従う。

(通説的現代語訳)子貢が君子を質問。孔子「まず言葉通りに行って、然る後に言うのが君子だ。」
不言実行。言語のたつ子貢相手だから孔子はこういった。言行不一致あるいは有言不実行の部分が子貢にはあったのだろうと、通説も指摘します。
八佾(はちいつ)篇第三から1句#57(3の17)
子貢、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)や、なんじはその羊を愛(おし)む、われはその礼を愛(おし)む。

(現代語訳)子貢が一日の日のお供えの羊をやめようとした、孔子「子貢よ、お前はその羊を惜しむ(可哀想と思うのだろう)が、自分孔子はそうすることでその儀礼儀礼にならないことを惜しむ」
⇒羊を可哀想と思ったのか、もったいないと思ったのか、分かりませんが、一日(ついたち)の日には先祖他に儀式として羊を生贄にしたらしい。子貢はこれをやめてしまえ、と。孔子はそんなことより、けじめ・礼たる告朔の儀式が儀式にならない(ニセモノになる、やがて廃れるなど)こと、を心配すると。なお賜は子貢の名、孔子が親しく呼びかけている。

⇒明晰な合理主義者の子貢と儀式礼を重んじる孔子・・今日ならともかく、ですが、過去はどの時代でもけじめの儀式のかなめを否定するなど、子貢はちょっと変わった人、と感じるものなのでしょう。批判的にそう誘導しているのが魯本でしょう。


公冶長篇第五から4句#96(5の3)
子貢、問いて曰く、賜(し)やいかん。子曰く、女(なんじ)は器(き・うつわ)なり。曰く、なんの器ぞや。曰く、瑚璉(これん)なり。

(現代語訳)子貢は問うた「自分子貢をどう思うか」。孔子「お前は器だ」。子貢「何の器か」。孔子「瑚璉=宗廟にキビアワのご飯を盛る玉製の器だ」
⇒この前#28(2-12)には「子曰、君子不器。」(君子は器ならず=器械器具ではない、沢山の器具を使うのが本当の君子・王者という心、でしょう)とあります。ですから、器だ、といわれることは君子ではない、といわれたにも等しいと魯本の読者は思うでしょう。・・当然、孔子の言葉を熟知する子貢もそう思うでしょう。

⇒「器は反価値的・・につかわれるが、ここは子貢をほめた言葉であるに違いなく・・」(吉川さん)とおっしゃるが果たしてどうか。・・瑚璉とはほめ言葉なのだろうが、あくまで器としての話であり、器としてならいいものだ、の心でしょう・・孔子の真意は不明ですが、ストレートなほめ言葉では決してない。

⇒なお、過去儒家はおっしゃいませんが漢文漢字的には(子貢=)「賜=女器」と目に入り、やや愚弄したものを読者は見るのかも。

⇒また、以上3句はいずれも子貢の方から積極的に孔子に問いかけています・・まあ、図図しく自意識の強い人だなあ、いやだなあ、とフツーは感じます。魯本はそう誘導しているのでしょう。

 

⇒そして以下の顔回との比較です。これはさすがに子貢自身ではなく孔子が言いだしっぺです。
#101(5-8)
子、子貢に謂いて曰く、女(なんじ)と回(かい)といずれか愈(まさ)れる。対えて曰く、賜はなんぞあえて回を望まん。回は一を聞いてもって十を知る、賜は一を聞いてもって二を知るのみ。子曰く、しかざるなり。われ女(なんじ)とともにしかざるなり。

(現代語訳)孔子が子貢にいう「お前と顔回とどちらがまさるか」。子貢「顔回には及びもつかない、顔回は一を聞いて十を知る、自分は二を知るのみ」。孔子「そうではない、自分孔子もお前と同じで顔回には及ばない」。
朱子新注では、子貢が顔回に及ばないというのに孔子は与(くみ)する、とあり、孔子はもっと偉かった、孔子は子貢に同情も激励もしなかった、とします。朱子は厳しいです。

⇒子貢にしては珍しくしおらしい発言です。ですが孔子もここまで。・・で、子貢も孔子もこういうのだから、顔回はよほどの人だ、というイメージは強まります。
#104(5-11)
子貢曰く、われは人のこれをわれに加うるを欲せざるや、われもまたこれを人に加うるなからんと欲す。子曰く、賜や、なんじの及ぶところにあらざるなり。

(現代語訳)子貢は言った「自分子貢は、人が自分に圧迫を加える(あるいは自分より優れる)ことを欲さないし、自分が人に圧迫を加える(人より優れる)ことも欲さない」。孔子「おまえにはそんなことできないよ」。
⇒加の字は物理的精神的に暴力・圧力を加えること(吉川さん)と。優れる優れないの上下意識との説もあるが、

⇒子貢は弁論が立って自信家で、自然と人に圧迫感を与える人だった、とみます。この発言自体もまことにそんな子貢らしい。子貢を良く知る孔子からみれば、「子貢や、自分で人に圧迫感を与えないつもりでも人はそうは感じない、ひとはお前には圧迫感を感じ逃げ場がない、といつも感じているんだよ。そんなもの直そうたって直らないよ。」と読みます。

#105(5-12)
子貢曰く、夫子(ふうし)の文章は得て聞くべきなり。夫子の性(せい)と天道とを言うを得て聞くことは不可なりき。

(現代語訳)子貢は言った「孔子先生の文章はきちんと聞き従うといい。しかし、孔子の性と天道について(のお考え)はきちんとはわからないままだった」
⇒「孔子の学問は元来即物的で、抽象的でも思弁的でもなかった」という清朝学者はそういう意味でこの句を読む(吉川さん)、らしい。

⇒「性」は論語ではここ以外では「性は相近く習いは相遠し」(#436,17-2)があり、司馬遷孔子世家では「天道と性命」として孔子亡き後の子貢の後悔、としていました。

⇒諸家諸説言われるが難しく考えることはなく、「性」は生まれつきの性根あるいは生まれつき、「習」は孔子孔門志士派が使うときは修練実行実践、とracは読むので、「性は相近く習いは相遠し」=生まれつき(の性根や姿?)は似ていても修練実行(の結果)は違ってしまうもの。また、天道=中華和平と周朝秩序の復活の道そのもの、と読みます。子貢もそういう意味で使ったろうとながなが既述しました(記事1531前後)。それでいいように思うのですが・・。

⇒ただし、今説明中の文脈でいうなら、上論=魯本学窓系のこの句の採用意図は「子貢は孔子のことは何でも分かっていたように(読者の皆さんは)思っているかもしれないが、子貢だってこういって、孔子から遂に学べなかったことがあると自ら認めているよ」という魯派主張、です。

--------------------------------------------------------------------------------

⇒以上、上論の冒頭から取捨選択せずすべて順に、ピックアップしました。これ以降にも上論でまだ5~6本子貢からみの句はありますが、それらは打って変わって、癖のない素直で真っ当なやり取りになっています。

(冗談抜きにして、子貢句だけ取れば、子貢のマイナスイメージが強い順に並べたのかしら?とも見えるほどです、備忘。)

子貢は弁舌・多才・積極・明晰とされるが、そうでもないなあ、半面で、自己中で高慢で欠点や限界もいろいろあったんだなあ、孔子にいろいろ牽制され叱られているなあ、と感づかせる句はこの辺まで、です。・・下論=斉本志士派系ではイケテル子貢像なのに対し、以上上論=魯本学窓系ではさりげなくしかし明瞭に子貢の欠点・短所・限界を上手に引き出し描いています。・・決して偶然ではありません、下論(斉・志士派)と上論(魯・学窓派)の相互対抗・反目・批判合戦、です(笑)。・・こんなこと自明明白、とみえるのですが、伝統的でお堅い論語学者はまず言わない。自ら世界を狭くしている、残念です。

--------------------------------------------------------------------------------

対比のためにも、

次は逆に、学窓派のドン、曾子を見てみましょう。
(つづく)

UNQT