1571.さて論語をどう読むか

1571.論語をどう読むか:2011/6/16(木) 午前 11:31作成分再掲。

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 毎日少しずつ書くブログであり、繰り返しも厭わず、あっちへ行ったりこっちへ来たり、手探りで楽しみながら、孔子論語を読んできています。

一度整理し、これからどう論語を読むか、方法方針を決めます。

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まずここまでの整理。


(1)論語の各句(章)はそれぞれ相手があって、ある状況下、で語られたもので、抽象的な言辞は案外少ない。だが、相手はある程度分かるけど、状況はよく分からないものが殆ど。むしろ意図的に消された、とみる。そうして、より一般的により立派に、期待されあるべき「儒教的」に読まれてきている。これが「論語」、そしてそんな理解が通説化している。これはこれでひとつの立派な儒教的世界。否定するつもりは全くない、世界遺産のひとつ。

・・だが、やはりもともとの状況を知りたいと思って、・・孔子の実際の行動履歴を辿った。主に司馬遷と春秋左伝によった。その結果、その後の通説的儒教的とはかなり違う「志士的孔子孔門像が発掘復元」された。・・多くの儒家は信じないと思うが、司馬遷と左伝はかなり明確にそう語っている。

(2)論語の上論10篇と下論10篇は性格が違うという日本伊藤仁斎流、そして魯斉両本説の武内義雄さんら、のさらに延長でいろいろ読み考えている。(1)とあわせ、孔門学窓派(曾子有子ら)と孔門志士派(子貢ら)の二つの流れがあって、それぞれ魯本と斉本のオリジナルになった、とみる。両者の立場や主張は当初は相当違っていた。


(3)さて、現伝学而篇第一と郷党篇第十がそれぞれオリジナルは孔子の根本精神と礼法マニュアルで、この2篇が「原論語」、とみた。うち学而のオリジナルは、孔子の句だけの簡単なもので、孔子塾に掲げてあったものというイメージで、学窓派にも志士派にも通用するものだった。


(4)学窓派=魯派は、座学礼法実技中心の人たちだから「原論語」の簡潔さに飽き足らず、現伝の為政篇第二以下、教科書=原魯本論語、を厚くしていった。さらにあろうことか、看板学而篇に曾子や有子の句を加えて学窓派色=後の主流の儒教色の強いもの、とした。で、現伝上論10篇のオリジナル=ほぼ原魯本=学而・郷党・為政・・・子罕の10篇で、ある時期には原魯本論語として完結、していた。

(5)志士派=斉派、は本来は、理想を求めて現実変革に関心がある人たちだから、書物を作ることに初めはあまり関心がなかった。「原論語」2篇で十分と考えていた。特に原学而篇は、志士派にこそぴったりするものだったから、十分だった。

(6)しかし、人も世代も時代も変わり、魯の儒家たちとの対抗上もあって、元志士派斉の儒家も座学的礼法実技的になっていった。(志士派の現実革新路線を汲んでいくのは墨家、弟子や朋を大事にする個人主義的傾向を引くのが楊子ら、に継承され、その分、斉の儒家も魯の儒家に近づき座学的礼法実技的になっていく)・・孟子のころには魯斉の儒家の融合が始まり、この時点で、斉儒家の教科書は、現伝学而篇・現伝郷党篇、そのあとは、現伝先進篇以下の下論が続き、8~12篇だった。これが原斉本論語で、今の下論10篇の原型。

(7)戦国時代にはそれぞれに追加削除等もあり細かな多様化も進んだ。だが焚書漢初には魯斉らの相互乗り入れ合体がさらに進み、魯本・斉本・孔家から出たとか言う古論語・河間論語などあり既にどれも20篇前後でその差はあまりなくなっていた。司馬遷あたりはこれらを見た。

司馬遷と同時代、秦漢帝国国教化、董仲舒前後にはいわゆる五経の整備は進むが、論語はこれに一つ遅れ、後漢鄭玄あたりにまでずれ込む。民間孔門もあったが国教化で帝国儒官たちがリードするから、志士派色は徹底的に排除され客観状況が見えるト書きなども除かれ名句羅列型で良く分からない、漢帝国体制管理志向=まあ元を辿れば魯の孔門学窓派色、が圧倒し、魯本・斉本・古論語を取捨合冊して現伝論語20篇、になった。これが今の論語

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これからどう論語を読むか


1)孔子も認知していたろう冒頭原学而篇の復元はできた。曾子有子の字句を加えた原魯本学而篇、更にあるいは別途子貢の句のある原斉本学而篇も復元できた。・・郷党篇が続き、・・原斉本ではこのあとに先進篇が続いていた、とみた。つなぎの二句(#254と#255)が見事に斉本系の手による愉快なジョイント(継ぎ手)とみるからです(もちろん現伝20篇の上下のつなぎでもある)(前記事前々記事)

2)・・孔子が強調する、朋=弟子や知人、の話につながっていた、これが原斉本の特徴です。対比して、原魯本では「原論語」冒頭2篇のあとには為政・八佾(はちいつ)など政治の根幹や儀式の話に入る。

3)魯本系の読み=現伝論語の伝統儒教的読み方で、これはracくんだりが一言も書くことはなく、世界遺産で沢山ある。そうではなく、冒頭から、すぐに朋(弟子や友人)の話につないでいたらしい、原斉本の流れで、今回、論語を読んでみたい。

4)もちろんそこにも政治・儀礼・忠義礼智信等等の話もあるが、ここは学而篇冒頭の「有朋自遠方來、不亦樂乎」の世界そのもので、原斉本=原孔子孔門志士派には根幹中の根幹、理想に燃え現実革命のための人的ネットワークそのもののお話・・これをまずは、

「朋(弟子や知人)たちのスナップ写真集」という観点、で読んでみたい。子貢・曾子・顔淵・子夏・子張など幾人かに順にスポットを当て、その個性や考え方、孔子との交流という視座で読み進めてみたい。


5)すなわち子貢なら子貢についての句を、下論(斉系)先進・顔淵等でみ、クロスチェックの意味で上論(魯系)公冶長・雍也など、で見比べたい、
いわばここも新しい論語の読み方のご提案です。


⇒うまく読めるかどうか、分かりません。納得説得的でなく面白くなければやめちゃえばいいこと。まずは子貢から、やってみましょう。(笑)

(つづく)

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