1504.孔子⑮楽の学習

1504.孔子⑮楽の学習:2011/5/4(水) 午後 3:28作成分再掲。

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(3)楽の学習。
気になっているのが、「世家」では、「仏肸(ひつきつ)の苦瓜」と「趙簡子の黄河」の間に、挟まっている「二つの楽器」の逸話です。世家ではその場所を書いておらず、racはひょっとしたら、周の故地での話かも、と「期待」しているお話です。

音楽の話なのですが、珍しく、孔子はダメといわれたり、一生懸命学習したり、している孔子の姿があります(・・孔子は最初から完成度の高い聖人として登場しており、勉強努力中の孔子を描くのは世家のこの場面くらいでしょう。)・・だから古来後世挿入の偽話論(世家)とか解釈未定正反対論(論語)とか、強いらしい、です。

rac関心はさらに先にあるのですが・・順に行きます。
1)「世家」から引用、morobiiさんの2本に跨っています。「論語」との比較で大事なところなので原文でいきます。
磬   http://blogs.yahoo.co.jp/mirobii/17815566.html
鼓琴  http://blogs.yahoo.co.jp/mirobii/17833618.html
孔子擊磬。有荷蕢而過門者。曰、有心哉擊磬乎。硜硜乎。莫己知也夫。而已矣。(世家)(試訳=孔子は磬(けい、石打楽器の一つ)を撃(う)った。蕢(あじか わらなどで作った土を運ぶもの)を荷(にな)いて門を過ぎる者が有り、曰く「心が表れるかな、磬を撃つか、硜硜(こうこう 堅苦しい小人物のさま)か。己(おのれ)が知ることなからんや。やんぬるかな(まだまだだな)。」と。

⇒これに相当する文が論語にあります、・・珍しく「おまけ」が長い、です(笑い)。↓

「子撃磬於衞。有荷蕢而過孔氏之門者。曰、有心哉撃磬乎。既而曰、鄙哉。硜硜乎。莫己知也。斯己而已矣。深則厲淺則掲。子曰、果哉。末之難矣。」(論語憲問篇の42、#374)
(試訳)

孔子は衛にいるとき、磬(石打楽器の一つ)を撃(う)った。

蕢(あじか わらなどで作った土を運ぶもの)を荷(にな)いて孔子の門を過ぎる者が有り、曰く「心、有るひとが、磬を撃っているな。」

そして通り過ぎていうには、「かたくな(=鄙)で硜硜(こうこう 堅苦しい小人物のさま)だ。己(おのれ)が知ることなきや、これ己のみ。深ければ脱いでしまい浅ければ裾をあげよ(との諺がある)。」と。

それを聞いた孔子が言った「果たせるかな(なるほど)。難しく悩むことはないのだよな。」と。
論語は「衛」でのこと、「孔氏の門」とまでいいます。世家の方は場所を一切言いません。

⇒通り過ぎた男は、農民か土木作業員か、ですが、磬、に相当の心得があるようです。

以下、読みの難しい、ところで諸説あるようで、・・

なかなか心のある人が撃って(演奏して)いる、ふと立ち止まって聴いたが、「(残念ながら、)かたくなで堅苦しい人だなあ」といって過ぎつつ、「己を知らない、まだまだだな。」

(以下、論語のおまけ部分)「自分は自分でしかないのだ。川が深ければザンブリ浸かってしまえ、浅ければ裾をつまめばいい(詩経のことわざ、らしい)」と。

これを後で聞いた孔子は「なるほどな、難しく悩むことはないのだな」と。

と、孔子は石製打楽器をキンキン撃っていた自分の演奏を素直に反省しただけ、とまずは読みます。

⇒フツーには、「己を知ってくれる人がいない、だが割り切って世も人も捨てることは出来ない」(吉川さん)、あるいは、「認めてくれるものがないならそれまでだ」(朱子)、「ハダカ(=果)になることだ、そんなことはわかって以前からやっている」(宮崎市定さん)など、と正反対説もあって、いろいろに解するらしい、です。

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2)次に、世家はこの後に持ってくるが「論語にはない」お話、をみます。ここは現代和訳文でもいいのですが、この文章は孔子にしては馴雅でなく後世の嘘話という説もあるようですので、・・morobiiさんの漢原文と訳をコピペさせてもらいます、多謝。
孔子學鼓琴師襄子。十日不進。師襄子曰、可以益矣。孔子曰、丘已習其曲矣、未得其數也。有閒曰、已習其數、可以益矣。孔子曰、丘未得其志也。有閒曰、已習其志、可以益矣。孔子曰、丘未得其為人也。有閒(曰)、有所穆然深思焉、有所怡然高望而遠志焉。曰、得其為人。黯然而黑、幾然而長、眼如望羊、如王四國。非文王其誰能為此也。師襄子辟席再拜曰、師蓋云文王操也。 (morobiiさん訳、多少変更)

孔子は鼓琴を師襄子に学(まな)んだ。十日して上達せず。

師襄子曰く「ゆたかに奏(かな)でるべし」と。

孔子曰く「わたしはすでにこの曲を習(なら)っていますが、未だその技術を得られません。」と。

しばらくして(師襄子)曰く「すでにその技術を習ったので、ゆたかに奏でるべし」と。

孔子曰く「わたしは未だその心(こころ)を得ていません。」と。

しばらくして、(師襄子)曰く「すでにその心(こころ)を習ったので、ゆたかに奏でるべし」と。

孔子曰く「わたしは人と為(な)りを得ていません」と。

ようやく(師襄子曰く、あるいは、孔子の演奏自体に)静かに深く思うところ有り、心喜んで高く望みて遠く志すところがでてきた。

そして(孔子)曰く「わたしはその人と為りを得ました。暗(くら)くして黒く、毅然(きぜん)として背が高く、眼(め)は羊(ひつじ、あるいは洋=望洋と)を遠くながめるが如(ごと)く、四国を統一するが如(ごと)く、周文王で非(あら)ずば、それ誰がこのように為すことができようか。」と。

師襄子は席(せき)を退(しりぞ)き(孔子を)再拝(さいはい)して曰く「今まで申し上げなかったが確かに、わが師は、周文王の操曲(=演奏作曲)だ、と言っていました。」と。
⇒これなど、まことにいいお話で、孔子がいかに楽を真剣に学び習ったか、いかにいい先生がいたか、を伝えている・・しかし、「論語」はこの話を採用していません(ですよね?)。

⇒・・ここに、現伝「論語」の浅さ、奥行きのなさ、いまや失われた六経(書・詩・礼・楽・春秋・易)のうち楽は漢代には伝わらなかったという「楽」についての見識のなさ、いわば孔子を低めて(自分達の)見えるもの見たいものしか見ないという論語儒教の偏狭、を見るのです。

⇒さらにあろうことか、論語の前句を引いて、「衛」での話しだから世家のこの後段の「楽師襄子をも衛の人」と古来決め付けてきている、らしい、のです。

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3)世家の伝承と、現伝論語、のどちらが、古いものを継承しているか、・・後段鼓琴の逸話は偽話嘘話、と断定する前に、・・ここは検討の余地がある。

例によってrac奇説珍説ですが、その結論は、

世家の司馬遷の「磬と鼓琴」の記述のほうが古い伝承を引いている・・意味は孔子も一生懸命学習した、楽の難しさ深さ重要性を強調したい、ということです。
そして、まあ、この点はおまけで譲ってタイトル通り「衛での生活」のひとつ、としてもいいのですが(笑い)、もともとは苦瓜と黄河の話の間にあって、西方晋往復の際の話としてあった。だから、rac的にはこれは「衛」ではなく、もっと周の故地に、こういう伝統が残る地があって、もっこかつぎのおじさんでも磬を評価する耳の人がまだいたし、襄子という周文王以来の演奏を伝える楽師がいた。・・そんな地で、孔子は漢時代にはすでに失われていた楽、を学んだ。だから、孔子のあの強い「楽」へのこだわりと自信が出てくる・・と思うのです。
孔子の楽へのこだわりや自信論語のあちこちにあります、以下に例示します。

⇒長くなりました、一旦切ります。

(つづく)

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