1505.孔子⑯楽の絶対性最終性

1505.孔子⑯楽の絶対性最終性:2011/5/5(木) 午前 10:41作成分再掲

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承前。

(4)孔子における「楽」の「絶対性」・「最終性」
「子曰。興於詩、立於禮、成於樂。」(論語泰伯の8、#193)
(試訳=孔子はいう「詩に興り、禮に立ち、楽に成る。「成」は人の完成の意味。)

「子謂韶、盡美矣、又盡善也。謂武、盡美矣、未盡善也。」(論語八?の25、#65)
(試訳=孔子はいう「舜の音楽である「韶」は美と善を尽くしている。周武王の音楽は美を尽くしているが善は未だし、だ。)

「子在齊聞韶。三月不知肉味。曰、不圖爲樂之至於斯也。」(論語述而の13、#161)
(試訳=子、斉に在(いま)しとき、(舜の音楽)「韶」を聞く。三月(みつき)肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽の為ること、斯(ここ)に至らんとは。)


詩や禮を踏まえて楽によって人間は完成すると孔子は考えていたようです。特に舜の音楽といわれる韶を評価しています。
「子曰。吾自衛反魯。然後樂正、雅頌各得其所。」(論語子罕の14、#220)
(試訳=子曰く「吾、衛より魯にかえる。然る後、楽正しく、雅(宮殿での舞楽)と頌(宗廟での舞楽)おのおのそのところを得る。」と。)

「子語魯大師樂曰。樂其可知也。始作翕如也、從之純如也、皦如也、繹如也以成。」(論語八?の23、#63)
(試訳=孔子、魯の(楽)大師に楽を語りて曰く「楽は知ること可なり。始めは翕如(きゅうじょ、=合、らしい)、次に純如(=澄、らしい)・皦如(きょうじょ=明、らしい)・繹如(えきじょ=連、らしい)、それで、完成だ。」)
⇒衛から魯に帰って、楽を整備した、といい、また、魯の楽大師(音楽大臣)に一言していますから、孔子の楽は、魯で身につけたものというより、諸国を巡って学習獲得してきたもの、と読みます。

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楽経」は漢の時代には失われて既になかった、といいます。吉川さんは楽の一部復元を試みられたようですが・・いまや中国も大国、古い音楽の復元に尽力されている方もおられるでしょう。・・どんなものか、一度聞いてみたいものです。(ネットでありそうなものですね・・未聴。)

「禮」記から「楽」の残片・・以下は音楽そのものではなく所詮文章(=理屈)です。
声は情、音は人心に生じ、楽は倫理に通ず。声を知り音を知らざるは禽獣、音を知り楽を知らざるは衆庶、君子のみよく楽を知る。楽は同、禮は異。同は相い親しみ、異は相い敬す。楽は内より出で静かなり、禮は外より作(おこ)り文なり。楽は天地の和、禮は天地の序なり。王者、功なりて楽を作り、治定まりて禮を制す。宮・商・角・徴(ち)・羽の五音あり、宮は温舒広大、商は方正好義、角は惻隠愛人、徴は楽善好施、羽は整斉好禮、の気持ちに人をさせると(この項のみ史記楽書太史公曰より=後世儒家の作、でしょう)
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孔子は鄭声(・・鄭声衛声は動而心淫(史記楽記)、乱・慢(禮記楽記)と)を嫌い、また、都会的なものより古風純朴なものを好んだようです。・・論語にあります。
「顔淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆。」(論語衛霊公の10、#389)
(試訳(部分)=国を治めるに当たっては・・楽は韶舞を採用し、鄭声は放擲し、佞人は遠ざけよ。鄭声は淫、佞人は危ういから。)

「子曰。先進於禮樂、野人也。後進於禮樂、君子也。如用之、則吾從先進。 」(論語先進の1、#255)
(試訳=禮楽は古いものは朴訥、最近のものは澄まして都会的。どちらがいいかといえば自分(孔子)は古風純朴が好みだ。)

孔子曰。益者三樂。損者三樂。樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友、益矣。樂驕樂、樂佚遊、樂宴樂、損矣。」(論語季氏の5、#425)
(試訳=人生に楽しいことはいろいろあるけれど、もうけものが三つ、損してしまうものが三つ。儲けものは、節度ある禮楽・人の善なる道・賢友を沢山持つこと。バカを見るのは・・)

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以上、「論語」のあちこちにバラケている「楽」を再編集してまとめてみると上記通りで、

孔子の主張はかなり「強烈な楽至上論」であることは明らか、
と思えます。

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さてさて、次の関心事項として、つまり、

論語には言及ありませんが、それでは
孔子が「楽」を身につけたのは、どこだろう?論語の編者達は、孔子は若いときに周にいって老子から礼を問うた(但し楽とは言わない)、夾谷の会でも楽で斉景公をやりこめ、また、前記事もっこ担ぎの磬の話は「衛」で、としますから、孔子は誰に学ぶでもなく(世家の師襄子、十日やっても孔子は下手だったという話など触れずに)「楽」に通じていて「衛」でも鍛錬した、と信じていたように見えます。
だから、

フツーは「衛」でも門弟達と楽を学習鍛錬したろう、そんな「衛での日々」もあったろうと見てられるのだとおもいます、「磬」の逸話もわざわざ「衛での孔子宅」でのことととするのですから。・・しかし重ねて

「子撃磬於衞。有荷簣而過孔氏之門者。曰、有心哉撃磬乎。既而曰、鄙哉。硜硜乎。莫己知也。斯己而已矣。深則厲淺則掲。子曰、果哉。末之難矣。」(論語憲問篇の42、#374)
(読み下し=子、衛にて、磬(けい)を撃つ。簣(き)を荷いて(にないて)孔氏の門を過ぐる者有り。曰く「心あるかな磬を撃つこと。」既にして曰く「鄙しい(いやしい)かな、硜硜(こうこう、小心で堅苦しいこと)かな。己を知ること莫ければ、これ已まん(やまん)のみ。深ければ厲(れい)し、浅ければ掲せよ。」と。子曰く「果なるかな、これを難しとする末し(なし)。」)

そして多くの儒者・ファンは、孔子が未熟と読まず、例えば上記のように、「思い切ったことを言ってくれる、しかし磬をうつことなど難しくない」と孔子もっこのおじさんに反駁している、と解し、孔子の権威を守ろうとする読み方さえあるのです。


・・やはり違う、どうにも無理があると、racには見えるのです。

(つづく)

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