1568.学而篇の子夏1句と総括

1568.学而篇の子夏1句と総括 :2011/6/14(火) 午前 10:19作成分再掲。

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学而篇の残り一句、

子夏の1句
です。
子夏曰。賢賢易色。事父母能竭其力。事君能致其身。與朋友交言而有信。雖曰未學、吾必謂之學矣。(学而1の7、#7)

(読み下し)

賢を賢として色を易(か)え、父母に事(つか)えては能くその力を竭(つく)し、君に事えて能くその身を致し、朋友と言を交えて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ずこれを学びたりと謂わん。

(通説的和訳)
賢人から賢を教わって変化成長し、父母に一生懸命仕え、君に身を挺して仕え、朋友との約束をきちんと守るなら、(その当人が)学んでいないといっても、自分に言わせれば、それは学んだ=既に学を身につけているのだ、と間違いなくいう。

⇒子夏の意図は二つあります。賢・孝悌・忠・信とはなにかその本質を分かり易く一言でいうこと、学の本質は(座学勉強というより)実践であること、の2点です。
⇒おそらく、有子や曾子の追加分を見て言葉が抽象的で分かりにくいと見た、「学」を有子や曾子は枉げあるいは誤解している、と思った。二人に比べれば、原孔子を知っていると自負した子夏なりの要を得て簡潔な補足説明です。・・それでも「一道・一貫」(学窓派の魯の曾子は勝手に忠恕と解し(#81)、志士派子貢にはアウンの呼吸で一貫のみ(#381))に触れず、上記一文で言えば「君」といってしまったところ、の二点は孔子根本からは外れた、とみますが(後述)。

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だから以上、数回分・・

ここまで学而篇について史的成立経緯を「想像」総括しておくと


①原学而篇=冒頭篇は、もともと孔子の根本理念を述べたものであった。学=実践=就有道而正=楽・悦・好=君子、治国の要諦5、若者の為すべき8、君子のありかた5、で尽きていた。

②これは、孔門学窓派にも孔門志士派にも共通して通用するものであった。
(=志士派は学習を現実政治改革の実践、学窓派は学習を礼法の実践、と読んでまあ妥協しあっていた)

孔子死後、孔門学窓派の、できのよくない曾子や有子らが師匠格となり、魯本論語を纏め始めたが、第二篇以下を纏め作るならともかくも、冒頭篇にまで自分達の句を挿入した。

④有子曾子は余りに理解してないと思ってポイントのみを(孔子に及ばざると評された生真面目で控えめな人にかかわらず)子夏が自分の1句を加えた。・・子夏の一文は有子曾子の追加句を見た後の子夏の追加と見ます、ですから魯本でのこと、です。・・しかし孔門学窓派の愚かさには就いていけず、去り西方魏文公に仕える。

⑤孔門志士派は学窓派的動きにどこまで関心あったか分からないが、③の孔子理解の低さと改竄に驚いて、しかたなく、冒頭、孔子の8句(5句)に加えて、子貢句を末尾に足して、斉本冒頭篇、とした。これには有子・曾子の句は入っていなかった。・・斉でのことですが案外まだ子貢存命中かもしれません、子貢のあの2句を選べるのは子貢しかいない気もしますので(笑)。

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