1564.論語を読む(8)学而篇の成立経緯と本質

1564.論語を読む(8)学而篇の成立経緯と本質 :2011/6/11(土) 午後 2:04作成分再掲。

QT

B本武内さんの「論語之研究」(昭和14年)は伊藤仁斎の上下10篇ずつ論を踏まえ戦前戦後の一時期一世風靡したらしく、

「上論が古く正編、うち学而第一と郷党第十が最も古く、その他8篇は遅れ、下論10篇は続編」
とされた。それで、日本では、岩波文庫旧版「論語」は武内さんの上論10篇のみ、またその時代の影響も有ったらしい桑原さん本Fも上10篇のみ、を紹介されます。

さらに

「学而篇には孔子の「言」を録し郷党篇にはその「行」を記して2編で完全な孔子言行録になっている」(B本p232)
と武内さんは指摘されます、・・粗い指摘ですが、その通りとracも読みます。

しかしながら、

学而篇の成立経緯については、rac読みでは、
孔子の句のみではじめ自己完結していた・・想像するに、孔子塾に掲げてあった標語か看板のようなもので、孔子本人も認知した8本ではないか。

②この8本は、子貢ら孔門志士派にも、有子ら孔門学窓派にも、共通して通用するものでもあった。

③有子曾子系の直弟子孫弟子世代の学窓派は、この8本に、孔子没後、自分達の有子や曾子の句を加えて、学窓派の教科書冒頭=子貢の2本のない現伝学而篇の中身相当、としていた。そして、行いの面(学窓派の行動とは要は礼法の実践です)については、現伝郷党篇の中身相当をまとめて学窓派の教科書としていた。これが魯本のはじまり・・上論10篇が出来て加わっていく。

④孔門志士派はそんな学窓礼法活動にどこまで興味があったか怪しいが、あまりに後の儒学=悪い意味での修身道学士風になっていったので気になって・・

⑤子貢らの発言を学而篇他魯本10篇各所に適宜挿入追加、他方で、子貢系孔門志士派が持っていた人物評論的事情説明的な孔子関連言行録を、先進篇第十一以降として作った。これが斉本系で、修正魯本とは別に下論10巻を追加的に持っていた。

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いずれにしても、現伝学而篇16句は孔子8本に加わって、有子3本・曾子2本・子貢2本・子夏1本ある。子貢の2本は孔子を語っているのに対し、あろうことか他は孔子をまねして自説を述べているもの。


まあ読み方はいろいろだろうが、

もともとの冒頭(=原学而)篇は孔子の基本哲学を孔子自身8本で自己完結的に表現した立派なもの。

あとの有子・曾子・子夏の句はなくても一向に問題がない、むしろ文章として品格を落とし構成の緊張感を弛緩させているだけ、です。

子貢の2本は、孔子にかかわるもので追加情報と認められるが、あとの孔門学窓系3人分はメッセージとしても他とダブり、品も奥行きもなく、ないほうが美しい。子貢の2本も内容はともかくないほうが美しい。

だから、逆に言うと、

孔子の8本は孔子が認知して最も古くからあったもの、(原)孔子そのもの、とみえるのです。孔子の文章はそれ以上要約できない簡潔なものですがあえて

学而篇の孔子8本を一覧整理すると(前3記事参照)
#1 学・朋・不知・君子=学んで朋とともに行動実現せよ

#3 巧言令色=悪いのがいるから特に巧言令色には気をつけよ

#5 治国=国を治める5ポイント

#6 弟子(ていし)=若者のやるべき8ポイント

#8 君子=人(当時なら諸侯諸卿大夫士)としてやるべき5ポイント

#11 父

#14 君子・有道正・学=一道がある

#16 不知より知人=知られざるより人々を知れ

⇒#11父だけはファザコンの郷愁のようにも見えますが、あとはすっきり頭が整理されています。孔子は明晰な人だったとみえます。

⇒前記事通り、初句#1と末尾2句#14#16はきちんと呼応しています。

⇒数も5と8しかない(もともとは8句でなく、#3巧言令色と#11父はなく#14と#16は一本で、5句だったかも)・・完璧なのです。
(つづく)

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