1563.論語を読む(7)学而篇まとめ

1563.論語を読む(7)学而篇まとめ:2011/6/11(土) 午前 11:15作成分再掲。

QT

学而篇の次の孔子の句は

子曰、道千乘之國、敬事而信。節用而愛人、使民以時。(学而1の5、#5)
です。
(読み下し)

千乗の国を道(治)めるには、事を敬(つつし)みて信あり、用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってする

(通説的和訳)

(戦車千乗クラスの)諸侯の国を治めるには、事業を控え目にして公約を守り、経費を節約して租税を安くし、人民を徴用する場合忙しい農繁期を避けることだ

(以上、以下も特記ない限り宮崎さん読みを中心に・・)
⇒とくにコメはありません。

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子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文。(学而1の6、#6)
(読み下し)

弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち弟(悌) 謹みて信あり、汎(広)く衆を愛して仁に親しみ、行って余力あれば則ち以って文を学べ。

(通説)

(修行中の)若者は、家庭では親孝行、社会に出ては奉仕に勤め、謹み深くして約束を守り、多くの人を愛し誠実(な人)と親しくし、やるべきことを行い、その上でなお余力があれば古典教養を学べ。
⇒特にコメありません。ただ、学が最後に来ている点は注目、だれかれに出来るものではない、フツーの人はまじめに生活せよ、それで十分、というおもいでしょう。この記事一番下、参照。

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⇒次は子夏の賢賢易#7は飛ばします。

子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改。(学而1の8、#8)
(読み下し)

君子、重からざれば威あらず、学べば固からず、忠信を主とし、己にしかざれば友とするなかれ、過ちては改むるに憚ること勿れ。

(通説)

君子たるもの(=諸君)、重々しくなくては威厳がない、学んで柔軟であれ、真心を尽くし(忠)約束は守れ(信)、自分より劣ると思うなら友とするな、過失はあっさり改めよ。

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曾子の慎終#9、子禽子貢の孔子についての質疑はいいものですが#10、は飛ばします。

子曰、父在觀其志、父沒觀其行、三年無改於父之道。可謂孝矣。(学而1の11、#11)
(読み下し)

父います時はその志を観、父没すればその行いを観る。三年父の道を改むることなし。孝というべきなり。

(通説)

父が生存中はその志を観る、死ねばその行いと結果を観る。その上で三年間父の道を改めない。これが出来れば親孝行、というべきだ。
孔子は父の顔も葬式も墓もみず、ファザコンの可能性が強い。封建身分制がすでに成立していたのでしょう、こんな感慨です。しかし、これは孔子が実際には出来なかったことを悔しがっているようにも見えます。

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⇒有子の和を貴し#12、有子の信義#13、を飛ばします。

子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉。可謂好學也已。(学而1の14、#14)
(読み下し)

君子は食に飽くを求むるなく、居に安きを求むるなし。事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。(これ)学を好むというべきのみ。

(通説)
諸君は食事なら満腹まで、暇さえあるなら安逸を貪るというのではなく、仕事に真っ先に手を出し、口は控えめにし、徳有る経験者に意見を求めて反省の材料にするがいい、これが出来たら学問好きといってやろう(宮崎さん)

紳士は食事に当たっては満腹を求めず住居については安楽を求めない。・・行動に敏捷で言語には慎重であれ。・・自分だけの判断では間違いもあるから、道徳あるものに接近してその判断を求める。そうした行為をなしうる人物は学問を好むものと判定してよかろう。(吉川さん)
⇒残念ながら、お二人ともこの程度の和訳では弱いです・・吉川さんは「事というのは具体的になにをいうか明らかではないが仮に行動と訳せば」と上記に補足されます。そのとおりで、・・・孔子は春秋や世家では(論語でもでしょう?)道はある、一事はある、と繰り返しいっています。すなわち、それは(後学がいうような抽象的な道というよりも孔子現役当時は)呉王夫差を誘導して中原和平と周朝秩序の回復です、そのためのさまざまな外交政治諜略工作です。・・ですから
rac流孔門志士読み)

君子たる同志諸君、飽食(グルメ)や安居(安逸な暮らし)を求めるのではない、事態に当たっては敏に、言を慎み、ちゃんと有るこの道に従って(世を)正しくする。これこそ学を好むことの究極だ。

⇒有るべき道に就いて世を正すのです。これをまた「学」といっているのです。学而篇#1句の「説(悦)」「楽」と軌を一にして、ここでは「好」と言っているのです。また学ぶことは「事」を「行」うこと、「有道」に従い世を「正」すこと、ともいっている。

⇒学者が勝手にしょもない自分の器で読んではいけません、・・現実の孔子に従って読まねばなりません。こういう人々を「論語読みの論語知らず」と古来言うらしい・・。

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⇒子貢の貧にして諂うの#15を飛ばします。学而篇の最終句です。

子曰、不患人之不己知、患不知人也。(学而1の16、#16)
(読み下し)

人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うなり。

(通説)

人が自分を知らないことは患えない、自分がひとを知らないことを患う。

⇒ここも、#14と同じで、学而篇初句#1と呼応、その末尾「人不知而不慍」への補足です。・・もともと#14につながった一句だったのでしょう、そして初句#1と呼応していた・・。

人に知れなくともかまわない、下克上私利私欲の乱世で、天下和平と周朝秩序回復の道をすすんでいるわれわれ孔門志士派こそが君子だ、そう自負する。だから人に知られようが知られまいが気にはしない。しかし、外交政治工作を進める上で、呉王夫差はどんな男、越王勾践はどんなヤツ、姦婦南子が衛霊公に甘えて何をしようとしているのか、要は他人・人々のこと、それを自分達が学ばず知らないことのほうがずっと問題だ、これを憂える。ということです。

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以上、学而篇を孔子の句だけで読んでくると、孔子の考え方の基本がぴしっと分かるし、特に行動原理=「学而」篇の初句#1と#14#16句がきちんと呼応していることも、はっきり分かります。「学」とは後世儒家の多くが言うように単に学ぶことではなくて、「就有道而正」(有るべき道に就いて(春秋乱世の世を)正すこと)と孔子自身が宣言しています。
⇒素直に読めば数時間で気づくことと思うのですが、2000年以上も諸先輩は何を読んできたつもりなのか?=アホです。・・まあ正確に言えば、これが2000年以上にわたりそして今なお変わらぬ、東アジア帝国体制の伝統的心理的重さとその指導原理儒教のドグマ、その本質、なのです

⇒冒頭#1を受けて末尾の#14と#16とを一文とみれば、初句のrac読みと同じで、ここにも熱い現実変革者=革命家、の姿がはっきり見て取れるのです。
(つづく)

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