1562.論語を読む(6)巧言令色

1562.論語を読む(6)巧言令色:2011/6/10(金) 午後 9:56作成分再掲。

QT

学而篇の#2は有子の孝弟、#4は曾子の日に三省、**です。孔門志士読みではこれらを飛ばしますので、孔子の2番目の句は

子曰、巧言令色、鮮矣仁。 (学而篇1の3、#3)
(読み下し)巧言令色は鮮(少)ないかな仁。

(通説的には)
ねこなで声でお世辞笑いする人間に最高道徳の仁は求められぬ(宮崎さん)、

巧妙な飾りすぎた言葉、巧みな顔色・・そういう人物には仁=真実の愛情の要素は少ない(吉川さん)

など。
⇒これまた有名な句ですが、racにはどうにも得心の行かない句でした。

つまり、納得のいく和訳にするためには、ねこなで声とか巧妙な飾りすぎた、という、過剰な修飾語を入れないと意味をなさない、よくわけが分からない。巧言令色の4文字にそこまで否定的なニュアンス*があるのか?!

     *朱子論語集注では、巧=好、令=善、とある。しかも、鮮=絶無、とまで言い切るから益々分からなくなる・・

それでついつい巧言令色って、一般によくないもの、なのか?朱子によるかぎりそんなネガティブなことばではなさそう。それとも口も利かずぶすっと愛想悪くしている人間、あるいは大人(たいじん)ぶって堂々としている方がいいとでもいうのか?、・・そもそも仁って何だ?・・という疑問がわくのです。・・別に巧みな言葉や良さそうな顔つきまでいけないといっているわけではないのでしょう?・・となる。


⇒だから

ここも孔門志士派が厳しい外交や政治を行うとき、そういう孔門同志への訓戒とみると、一挙に納得がいく。春秋戦国・私利私欲・下克上の人間関係での実践的経験的な戒め、なのです。政治交渉は騙しあいだから、賄賂やハニートラップに気をつけろ、相手の口や顔つきだけで判断するな、程度の常識論なのです。
つまり
rac試訳)

(外交政治で交渉する同志に言っておくが)相手が巧みな言葉や善良な顔つきのときはむしろ誠実ではないことが多い、(くれぐれも心して当たれ)

⇒このように状況場面を孔門志士派の交渉時とよめば、無理過剰な言葉を補って解釈する必要はないのです。孔子の言葉はしごく当然なものになります。
⇒だから、フツーの日常の人間関係で、優しい言葉をかけたり口のうまいヤツは気をつけろ、愛想良くするやつは警戒しろと、そんな心貧しいことを言っている訳では決してない。むしろ

巧言令色=好言善色は人ならだれだってフツーの状況下では自然にでるはずのもので、それが仁なのです。話は全く逆なのです、これが正しいメッセージです。


⇒・・ところがこのへんをぐじゃぐじゃのままで、繊細で優秀な子供たちが、これ=論語の巧言令色は少ないかな仁、を学ぶと(論語は唐代まで子供向けの初心者本、宋や江戸以降は基礎教養書ですから)つい前段のように解しかねない。そして(ごく最近まで)エリート子供?達はどうにも情感にかけ心貧しく育っていく可能性もあるのです。誤解を招きかねないメッセージなのです、だからこれは難しいメッセージ、とも時に言われる。

⇒だから、本当は「仁」についても、最高の道徳とか、真実の愛情とか、難しく考え過ぎることはない、のです。・・誠実とか人間らしいとか当たり前のことでいい。・・特殊論を一般論で解釈してしまったからしわ寄せがきているだけで、ここでは仁ですが、概して仁義礼知信など、大変バーを高く美化し難しいものにしなければならなくなった。

⇒要するに、弱肉強食的春秋戦国的外交交渉の特殊な場面であることを伏せてしまったから話が難しくなった。・・背景を消して隠したから、

・・孔子の実践的な注意が極めて意味深不気味なものに化けていく。
自分で自分を縛っていく、要すれば、後世儒家にはこういう2重3重のアホが多いようです。

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ここでスキップした#2曾子、#4有子はまさに、その程度のアホかもしれません。

曾子」は孔子自身が「魯」鈍と言い切り、「有子」(冉求=子有ではない)は姿かたちが孔子に似ていたから後継者に推挙されたと伝わる(孔子はコメントさえ残していない。・・有子=有若はずうずうしくも学而篇冒頭に自分の句を挿入したから論語冒頭に出てくるから有名な程度)、その程度の人たちなのです。・・彼らは外交政治軍事金儲実践には孔子が見ても向かなかったろうし本人も適性があるともおもっていない、もちろん経験もない、そういう人たちが魯鈍な頭で形と言葉尻ばかりをドンドン考えて不可解な解釈にしていくのです。

乱暴な言い方ですが、上論10篇には共通してこの「ヘキ」=傾向、があります。これまで金科玉条に扱われてきているからきつく言っているだけなのですが(これまでの世界遺産的読み方ももちろんあり、と認めた上でですが)、そういう眼でも読んでみてください。

(つづく)

UNQT