1561.論語を読む(5)學而時習之

1561.論語を読む(5)學而時習之 :2011/6/10(金) 午後 0:34作成分再掲。

ここもくどいですが(笑)・・

QT

大事なところなので記事1532をひつこくほぼそのまま再掲します。

 

論語の初句=学而篇の第一、誰でも知っているこの句を、孔門志士派(仮称)で読むとどうなるか・・
「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。」(論語学而の1、#1)

(通説)
孔子曰く、学んで時に復習(おさらい)する、こんなに悦(=説、よろこ)ばしいことはない。友があって遠方よりわざわざたずねて来る、こんな楽しいことがはない。人に(自分達の学徳が)知られなくてもいい、そんなことはいかりにもうらみにも思わない、それが君子、ということだ。

rac試訳)
孔子曰く、学んだことを適時適切に実行していく、こんな悦ばしいことはない。遠くから同志が久しぶりにやってくる、こんな楽しいことはない。世の人々に自分たちのことは知られなくてもかまわない、そんなことは腹も立たず残念とも思わない。これが君子、ということだ。

違いのポイントは
1)「習う」を「やってみる、行動に移す」と読みます。「習」の字は、巣立ちする子鳥がバタバタと羽ばたくことの象形らしい、です。

2)「時」は吉川さんも書かれていますが、時々ではなく、「タイムリーに、適時適切に」と読みます。

3)「朋」は、単なる友達ではなく、「同胞・同志」です。志を共にし、・・呉王夫差を信長に見立て中原に呼び込み中華の和平と周王朝回復、を意図して、斉や呉や宋(司馬牛もその一人です)や鄭や晋など遠国でさまざまに政治工作にあたっている、孔門の「同志」「隠密たち」「活動家」たちです。

4)おのおの魯や衛や宋や斉や晋や鄭などで立場を持っている・・それでも大望をいたき、彗星のごとく登場した呉王夫差(=信長です)の軍事力他を当てにしそれぞれに支援し行動し天下布武を夢みている・・だから、なかなかおおぴらには出来ない。

5)そういう同志が遠方からやってきて情報交換情勢分析新しい作戦を語り合う。こんな楽しいことはない。

6)だから、人には知られなくてもいい、中華全体の天道大義の回復実現が目標だから、人に知れないからといって慍(うらみ・いかり他)に思わない・・。

7)要は、春秋乱世私利私欲の世の中にあって、こんなにも、世に誇れ歴史に誇れる志と行動はない、だから、われわれは君子なのだ。だから誇りをもって日々活動しよう。

諸侯は跡目争いや下克上に苦しみ、魯季氏や衛孔氏など有力大夫は私利私欲の小戦争を繰り返す、晋趙鞅や孔門が期待している呉王夫差だって大欲に取り付かれているだけかも知れない。しかし、われわれ孔子とその一門は、呉王夫差を見込んで担ぎ、天下中華の和平と周朝秩序の回復に、日々注力している。多くの人々は知らずしられようもない。

が、この春秋乱世に、われわれこそ君子といわずに他に君子がいようか。いわば、強い自負があります。・・少なくとも、学びの喜びこそが代えがたいもの、自分の学徳が人に知られなくとも怒らない恨まないなどという、うじうじした書斎道学士の自己満足などはるかに超える、生き様そのものへの自信と自負、です。


以上、こう読むと、従来読みでは学・朋・不知・君子の4つの木で竹を継ぐようなぎくしゃく感がありますが、これが消え、これしかない必然性のある4つとして登場します。30文字すべて一つの文章=ステートメント、としてきれいに流れます。 これが孔子がもともと語ったときの「原義」だからです。 しかも、これが孔門志士派の長=孔子の弁として、第一句にあることはまことに相応しい、のです。

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あと三点
8)これを後漢鄭玄以下の儒学者たちは、学ぶことの喜び、復習おさらいすることの喜び、学友と論じることの楽しさ、と読み替えてしまった。そんな学徒=「その程度の学徒」が君子であるかのように、読み替えた。

とんでもない。・・否、鄭玄から、ではないのです。

もっと前。・・孔子の努力にもかかわらず呉王の没落を見、そして結果的には無理筋だったとも見えたろう子貢の越王勾践工作の無惨な失敗(哀れ魯公も出奔し越に客死させた)を目の当たりにして、孔門学窓派の人たちの系譜は、かなりはやくに意図的に、彼等孔門志士派の活動を否定したのです。・・孔門十哲の活動家達ではない系譜、曽子有子ら学徒肌の人たちが中心になって読み替え工作を始めたのです。ですからこの「看板の書き換え」は孔子の死後、おそらく孟子の前までに終わっていた、と見ます(後述)。


9)孔子の原義にあった、「学ぶ」とは「行動的鋭角的に天道正義の実現を目指すという革命精神」は失われます。加えて、習う、を「単なるおさらい・復習」にしてしまった。

学問は学んでその通り実現に向かうことではなく、・・しこしこ勉強しておさらいして官僚か学者になる・・立身出世につながればよし・・あるいは高々学びの喜びを訴える学問世界です。・・いずれにせよ学んだことに従い現実を変えるとか革命とかには関係なく、・・所詮は技術か教養か・・出世志向の儒教になっていく。・・空海三教指帰儒学を嫌う根本理由となっていく。


10)空海も含め、2千数百年、中国はじめ東アジアでは、論語は基本中の基本ですから、子供のときに、論語の冒頭で、そういう解釈を摺りこまれる。そして知らず知らずに、勉強の目的は官僚や学者になって立身出世すればいい、こと。現実は勉強したとおりの真理ではないが、これは仕方がない、実現することではなく頭の中でおさらいして忘れなければいいこと、と孔子も言っている・・と納得する。・・優秀で繊細な子供こそ早くからそうなる。
こうしてまことに「お粗末な」学問観や真理観が、論語の最初のページから子供達の心の中で醸成されはじめるのです。・・ここが西洋と東洋の真理や学問の分かれ道のスタートなのです。
大きな間違いです。
学問=努力して真理を知ること=正義を学ぶことは、それを適時適切に実行して、世を正しくすることそのものなのだ、と原孔子は主張していたのです。朋と共に正しく現実を変革すること、これを喜ばしく楽しいことと言ったのです。

こんな明確なことはない。単に学問の楽しみを言っただけではない、学問し生かし現実を革命することの楽しさ、を言っているのです。・・その後の儒学者にありがちな真理(学問)と現実は別々の二元論ではない、原孔子の主張は、明らかに、学問=真理=現実がそうあるべき、という一元一体論、なのです。


ざっと読んだ限り、日本では、長谷川如是閑さんと桑原武夫さんは、「習う」=実践・実際にやってみること、と解していることは記録にありました。お二人とも独自の読みだがとおっしゃり、桑原さんは吉川さんに言ったらそれは違うと叱られたのだとか(笑い)。(長谷川さんは朝日吉川本「論語下」の付録に、桑原さん「論語」筑摩、昭和57年、に)

ただお二人ともそこで止まっておられる。あくまで学問とその延長の実践で、革命推奨論とまでは仰らない、せっかくの良い読みなのに何故止まるのか・・孔子像はじめ長い儒教のドグマのせいなのです。

・・要は話は単純で、呉王夫差=信長論までは司馬遷以降、誰も主張されないので、全体の一気通貫の読みが出来なくなっているだけ、なのです。

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従い、ここに、

新しい時代の、論語の新しい読み方を、ご提案する次第です。
しかしながら、この読み方は(これまでこのシリーズで披露した、あるいは今後も披露するだろうrac流読み方は)、

文字通りの温故知新
現代に似て、グローバルで多様で何でもありの春秋乱世の、孔子のもともとの読み方=孔子の本来の生き方とその発言、でもあるのです。
(つづく)

UNQT