1514.孔子25:葉公との対話

1514.孔子25:葉公との対話 :2011/5/11(水) 午後 0:34作成分再掲。

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承前。

論語」には、葉(しょう)公との対話が三句あります。
通常の読み方は読み方としていいのでしょうが、
これまでのracお話の流れで読む、と、次のようになります。=「論語」の句の新しい読み方のご提案、でもあるし、また楚昭王暗殺と孔子一門隠密説の補強、にもなります。記事1509ご参照。

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「葉公問政。子曰、近者説、遠者來。」(論語子路の16、#319)
(試訳=葉公が政を問うた、孔子がいう「近くのものが喜(悦=説)び、遠くのものが(したって)寄って来ることだ」と。)=従来説。

(試訳B=葉公が政を問うた、孔子がいった「近くのもの=楚、が喜(悦=説)び、遠くのもの=呉、が来た」と。)=rac新説珍説です(笑い)

⇒何度も言うように、<葉>は楚国のなかの一地方、葉公はその長官ですが、楚のなかでも有力者=沈諸梁、で、のち恵王(=越女の子で昭王の息子です)時代には、白公の乱後一時的に楚の令尹(=宰相)司馬(=軍司令官)兼務するほど。また司馬遷史記楚世家」?には楚の司馬らと並んで葉公も問題の城父の陣に参陣した、と明記あります。
⇒近者=楚、遠者=呉、と読むと、呉楚の秘密同盟が成り立った時の記念すべき言葉だったとも理解できます、だから「政」そのものです。・・孔子の句に、全く別の奥行きと重要性、が生まれます。
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「葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。其父攘羊、而子證之。孔子曰、吾黨之直者異於是。父爲子隱、子爲父隱。直在其中矣。」(論語子路の18、#321)
(試訳=葉公が語って孔子にいった「わが仲間に直躬という名前通りの正直者がいて、その父が羊を盗んだことの証人となったのですよ」。孔子はいった「わが仲間では正直というのはそれとは違う。父は子のために隠す、子は父のために隠す。正直というのはそんな中にあるのです」と。)=従来説、余りよくわかりません(父子間でもフツー犯罪を隠すのはよろしくない、でしょ?笑い)*1。

(試訳B=葉公が語って孔子にいった「わが仲間に直躬という名前通りの真直ぐなものがいて、その父が羊を盗んだことを悪事として糾弾した(=証)のですよ」。孔子はいった「わが仲間の場合=楚の昭王を回りみんなして暗殺したことを知る仲間、では、父(亡き昭王のこと)は子(恵王)のために隠す、子(恵王)には父のために(=昭王が楚の合意で暗殺されたことを)隠す。これを本当の「直」という。)=rac新説珍説です、ご注意!
⇒ですから、
昭王暗殺共犯の一人の葉公が、この越女の子(幼い恵王)は将来自分の父(昭王)のこと(暗殺されたという大犯罪)を知るのだろうか?、と、不憫と思ったのか、あるいは、自分の将来が不安になったものか。・・つい、親の犯罪を摘発した直躬の話をした。勘のいい孔子ですから葉公の思いを覚って「例のことは絶対秘密にせよ、父(亡き昭王)のためにも子(恵王)のためにもそれが幸せ、そうすることが人ととして「直」である」と孔子が葉公を慰め励ました、のです。⇒こう読むなら、孔子が事情をよく知っていた、まさに、昭王暗殺というか呉楚秘密同盟の関係者だった、だから、葉公は気を許して話している、ことになります。

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「葉公問孔子子路子路不對。子曰、女奚不曰。其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至云爾。」論語述而の18、#166)
(試訳=葉公が孔子について子路に聞いた。子路は答えられなかった。孔子はいう「汝(=女)何故言ってくれなかったのか、その人となりは発奮すれば食を忘れ、楽しんで憂えを忘れ、まさに老いようとしていることも知らない(人だ)と」と。)

⇒これは、これで読み方として動きません、

⇒しかし、これを60過ぎ「耳順」の老哲学者の話と読むか、まだまだ若く充実し切っている志士=革命家、の言葉と読むか・・読み手の「感性」の問題です*2。・・尋ねたのは、楚の要人、葉公、です。
葉公が楚のキーマンだとわかって孔子一門がコンタクトを開始した早いころでしょう、葉公が子路孔子とはどういう人間か、聞いた。・・楚にとっては呉との戦争などせずに足元を充実せよ、呉には楚への野心はなく中原に上り覇をとなえ天下に正義を回復させる。そのための、楚呉同盟なのだ。それにむけて孔子一門みんな頑張っているのに、子路やどうしてそれが分からないのか?、孔子はそんな大望を抱き、楚と呉と天下のために活動している男だ。食を忘れ憂いを知らず革命を夢みる、それに相応しい情熱家だ、年齢は六十でもその辺の老弁士とは違う。ここは、大事な葉公には、そう言っておいてくれないとなあ。・・でしょ(笑い)
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⇒上の三つ。これは、もう、決定的でしょう(笑い)。たまたまひとつが昭王暗殺説+呉楚秘密同盟説+孔子政治結社(呉の隠密部隊ともいえるし呉楚を生かし天下に道を回復する政治結社ともいえる)説で説明できるのではなく、葉公関連の三句はすべて、通説よりもはるかに納得して読める、のです。

⇒・・葉公とのたくさんあったに違いない、会話記録から、こんな三つを選んで編集した・・それぞれに重要な意味や思い出がある。これが「原論語」であり、「原論語」の一面、の雰囲気、です。・・現伝「論語」のまえに編集された原論語には、こういう性格のメッセージもあった、のです。・・しかしやがて、弟子2代目世代以降はこれを韜晦隠蔽していく(これは後述   http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/38461174.html など)・・

 

⇒葉公、との三句が「決定的」とみますが、

論語」の他の文章からも、同様趣旨=呉楚同盟+呉の隠密部隊説、は読み取れます。いくつもありますが、大事なところなので長くなりますが(笑い)、傍証的にひとつひとつ以下記事にしていきます。

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 *1 朱子の「論語集注」では、「父子が相隠すのは天理人情の至り」とし、「攘」を「因りて盗む」(自分の所に来たので自分のものとする=横領?)と言い訳します。朱子曾子流孝行孝経のもとにあり、正義や犯罪よりも親子の情が上で大事、とする価値観です。この親子関係が君臣関係となり東アジア独特のベタベタの国家忠誠心の大本になっていきます。朱子はこの句をそうした文脈で読んでしまっています。・・論語のこの句を(朱子ではなく古く曾子以来でしょう)そういう文脈で読んでしまったことがこういう変な忠孝概念が生まれ権威化された一因になっています。


   *2 吉川幸次郎さんは、この句を「論語の中でも、最も生き生きしたもの、私のはなはだしく愛する条である」と。なお、朱子は「学を好むことが篤いことをいう」「学ぶものは思いを致すべきである」と。・・残念ながらお二人とも60過ぎの革命志士の弁、とは解されない、です、念のため。

(つづく)

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