1498.「孔子世家」⑪姦婦南子に会う

1498.「孔子世家」⑪姦婦南子に会う: 2011/4/30(土) 午後 0:05作成分再掲。

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司馬遷史記」の「孔子世家」の次の記事は、

衛の霊公夫人南子との面談
です。

美貌で二夫を操る姦婦南子(後述)に、孔子も会ったが、何もなかった、と孔子が言い訳します。大事なところ?ですので、原文に即してきっちり見ておきましょう(笑い)。

以下は、そのポイントです。
①この南子との件は、匡での難、のすぐ後のように、司馬遷「世家」は読める。であるなら、魯定公14年、衛霊公39年、前496年、孔子56歳。・・この年は、秋、衛の太子の蒯聵(かいかい)が母南子と合わず殺そうとして失敗、宋に出奔する年です。しかし、厳密には、南子との面談の季節がわからず、太子逃亡(秋)との前後関係は不明です。

他方、後段から、魯定公が死んだ年、とも読める。なら上の翌年、定公15年、孔子57歳、かもしれない。とするなら、太子出奔後、です。


②世家文章では、孔子は夫人に強いられ「礼」として已む無く会った、としつつも、南子の「帯玉(おびたま)の音が?然(きゅうぜん=玉の鳴る音)と鳴(な)った。」と描写し、変な臨場感?がある。


③そして、まあ理由はともかく、当時淫行で聞こえた南子に孔子が会ったのだから、堅物子路は悦ばなかったと世家もいうが、相当する句が「論語」にもちゃんとあります↓。
「子見南子。子路不説。夫子矢之曰、予所否者、天厭之、天厭之。」(論語雍也篇の26、#145)
(試訳=孔子は南子に会った。子路は喜(=説)ばなかった。孔子は誓(=矢)って言った。自分に非(=否)なるところがあれば、天がこれ(自分)を見捨てる(=厭)だろう、見捨てるだろう。)


④南子に会った1ヶ月後に、霊公・南子・某宦官・孔子が馬車で市中を見物する、と世家記事。この際、孔子は「かたわら」(=次。後車・次の車、との野口さんの読み方もあるが「かたわら」との読み方が正解、と思います)にいて、霊公・南子・宦官の様子や密談を聞いたらしく

孔子曰く「吾(われ)は未(いま)だ色を好むが如(ごと)く、徳を好む者を見ていない」と。この世家のせりふ、原文らしいものは論語に2つ「も」あります。
「子曰。吾未見好徳、如好色者也。」(論語子罕篇の17、#223)
「子曰。已矣乎。吾未見好徳、如好色者也。」(論語衛霊公篇の12、#391)
⇒状況が違うから決めせりふの同文が何度も出てくる、というのがrac説ですが、これはどうか?・・ありがちなことだろうが、この馬車での痴話?が余程のものだったろうと思わせます。

「已矣乎=やんぬるかな」は論語での孔子の嘆き、世家では「ここにおいてこれを恥(は)じて衛を去り」、「曹」経由で「宋」に向かったといいます。

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要は、こりゃ、どういう意味だあ~?(笑い)、ということなのです。
1)まず「南子」について。「南子」の実家は宋。実家にいるときから、「宋朝」という美男の宋の公子と出来ていたが、「南子」は衛の霊公と結婚する。その後も、霊公公認で「宋朝」とも関係があり、あろうことか霊公は「南子」のために「宋朝」を衛の大夫として衛に迎え、「宋朝」も衛の後宮に出入りしていた、と(「春秋左伝」)。

年齢はよくわからないが、吉川幸次郎さんの「論語」上によれば、(孔子の魯脱出の翌年とすれば)「孔子は57歳、霊公は在位38年目、44歳、夫人も脂ぎった年増であったろう」と。

⇒また(どなたも書いていないことを品なく書きたくはないが)こどもは太子蒯聵以下数人いたらしいが、この状況では誰の子か、わからない。蒯聵が母親殺害を企てるなど尋常でないのは、自らの血統への疑問、もあったのかもしれない。

 

2)これまた意外なことに「宋朝」について「論語」に評があります。「子曰、不有祝鴕之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。」(論語雍也の16、#134)
(試訳=祝鴕(衛の廟官・その弁舌は孔子も買っていた、以下)の弁舌(=佞、はこの当時は必ずしも悪い意味ではない、とか)もないくせに、「宋朝」のように美男なだけでは、この世を生き抜いていくのは難しいなあ。)


3)孔子衛の霊公のことはどう思っていたか?⇒これも時制は大分後ですが、論語にあります。↓

「子言衛霊公之無道也。康子曰、夫如是、奚而不喪。孔子曰、仲叔圉治賓客、祝鴕治宗廟、王孫賈治軍旅。夫如是、奚其喪。」(論語憲問の20、#353)
(試訳=孔子が衛の霊公は無道な人だった、と言った。(季)康子は聞いた「それなのに何故、衛は亡びなかったのか」。孔子曰「仲叔圉が外交を、祝鴕が宗廟を、王孫賈が軍事をきちんとやったから、国はもったのだ。」

孔子が遊説をやめて魯に帰ってからの(季桓子の子の季康子への)思い出話ですが、衛の霊公を孔子は「無道な人」と振り返っています。衛にいる頃は口には出さなかったでしょうが、上の南子との痴話話も見たわけでその頃にはすでに好意的ではなかった、でしょう。


4)では、孔子は、「南子」の側か「蒯聵」の側か、⇒これが読みにくい、のです。論語にヒントになる逸話がありますが微妙ですので、全文引用します。↓

冉有曰、夫子為衛君乎。子貢曰、諾、吾将問之。入曰、伯夷叔斉何人也。古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁、又何怨乎。出曰、夫子不為也。」(論語述而の14、#162)
(試訳=冉有が言う「孔子先生は「衛の君」の味方だろうか?」。子貢が言う「よし、俺が聞いてこよう」。孔子の部屋に入って聞く「伯夷叔斉とは何者だったのでしょう?」。孔子「古の聖人だ」。子貢「怨みの気持ちはあったのでしょうか?」。孔子「仁を求め仁を得たのだ、怨みなんかなかったろう」。子貢が部屋から出てきて言った「孔子先生は「衛の君」の味方をするつもりはないぞ」と。)

吉川幸次郎さんは、これは、衛の太子蒯聵が出奔した後、霊公死後、衛国が立てた蒯聵の子=「輒(ちょう)」=霊公のあとの「衛の出公」、をこの「衛の君」とされ、そして孔子は「輒」に味方しない(=「蒯聵」に味方する)、との趣旨、と読まれます。これが(わが日本の、中国でも?)通説な読み方、らしい。

⇒しかし、冉有や子貢らはがやがやと三面記事的な関心でこの問題を語っています。孔子先生には聞きにくいから子貢が代表格でわざわざ部屋に入って質問し、孔子の返事を聞いて、「衛の君」には味方するつもりはない、と他の弟子達に告げています。・・これがいつ時点か、衛の君は本当に輒、のことか、疑問が残ります。

⇒国を譲り合って後には二人とも餓死する伯夷叔斉兄弟を持ち出して、怨みがあったろうか、という、遠回りな尋ね方でもあります。この時点で国を出奔しているのは蒯聵です。蒯聵を思いながら怨みがあるのだろう、だから伯夷叔斉の場合はどうだったろう、ということです。

ですから、冉有や子貢らが問題にしているのは、南子暗殺に失敗した蒯聵が出奔した直後の興奮冷めやらぬ時点です、そして、霊公・南子らを知っている孔子に、どちらに味方されますか、と弟子達は関心を持って聞いている、と読むべき、です。

・・そして孔子の答えは、伯夷叔斉の場合は仁のため、今回の霊公南子・蒯聵と輒(ではなく実は末子郢、とみます。そうすると親子ではなくここも兄弟です、伯夷叔斉の例えが意味を持つ。以下)の場合は(欲や色が動機で訳が)違う。だから、どちらにも味方しない=中立だ、といっていると読むべき、でしょう。

上記「論語」上本で長々論証されているつもりの吉川さんには悪いが、これ以外に読みようがない、とさえ見えます。

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⇒さてさて、だとすると、南子とのやり取り・馬車での話し・そして「色を好むが如くに徳を好む者を見ていない」と、「恥じて」孔子は衛を去った、をどう読むか、・・・結論的には、太子蒯聵出奔の前にせよ後にせよ
5)霊公と南子が馬車の中で、痴話話をしながら、太子蒯聵を遠ざけ、南子と霊公は実は、末子の「郢(えい、子南)」に継がせたい、というような話をしていた、racはみる。⇒なお、末子「郢」、が南子の意図だった、というのは孔祥林さんの説です。ですが霊公死後、実際は、南子の意向は通らず、蒯聵の子=「輒」=出公=霊公南子の孫が即位します。また、孔祥林さんは、春秋左伝や世家の主張=蒯聵は宋に亡命した、ではなく晋に亡命した、とします。さらにその後の史実は16年後の前480年に「蒯聵」は晋の援助で輒を廃し自ら即位します、そしてこのときに子路は戦死します・・。
孔子は4)通り中立で、世継ぎ問題にはさして関心はなかったが、馬車の中での南子・霊公の話に明確に賛成しなかったため、かえって疑われ信を失い、前々記事通り霊公から一出一入まで監視されるようになる(この記事はそういう意味で南子会談の後のことと読みます、ただし南子との色事が理由ではなく世継ぎ問題のスパイ容疑で監視されたのです)。・・色からみの話で仁も徳もない衛の世継ぎ話にはいい加減嫌気がさし・・孔子は衛を去る決意をします。⇒孔子がこの世継ぎ問題で衛を去るのは霊公が生きてうち(霊公の死は前493年)と見ます。だが、孔子も明らかに何度か衛を去っているので、これが何回目のはなしか、よくは分からない・・難しいですがもう少し読んで確認したいです。

 なお、仁斎から吉川さんまで日本の諸先輩も読み込んでおられるが、この辺はピンボケの読み間違い、の気がします(笑い)。多分中国ご本家の孔祥林さんの説の「延長線上」がやはり正解、の予感がしますが・・。

とりあえず、ここで一旦止めおきます。
(つづく)
UNQT