1486.『論語』を読む(1)読み方いろいろ

ネット上から消えているようなので、ここ「はてな?読書日記」のつもりで、1486.『論語』を読む(1)読み方いろいろ :2011/4/18(月) 午後 1:08作成分(かつてあったyahooブログ内「raccoon21jpのブログ」として約6000本作成のうち)を再録します。以後同様、しばらく続けます。

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思い切って論語
に挑戦します(笑い)。

これも書けるところから・・気楽にいきます。

論語』は『孟子』に比べるとひとつ利口?で、(大概のものはそうしか読めないのでしょうが、)一般的抽象的示唆的で、

それが語られた時の状況がいまひとつ不分明、・・従いそれがわからないと、幾様にも読みうるケースがかなりあるようです。

・・もちろん「古語短文であるという論語の基本性格」からくる難しさ、また、「読み手側の時代や環境」によっても、かなり変わるのは当然ですが、これらは置いて、加えて、この「発言時の状況が見えない」ものが殆ど、ということからくる難しさ、です。

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二つ例
を挙げます。

 

子曰「朝聞道、夕死可矣」(里仁第四の8、通し番号で74)
前後の句と脈絡がなく事実上独立句、です。この文章だけで読まねばならないわけです。

①フツー日本語では「朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」と読み、「朝、真理を聞いて満足したなら、夕方に死んでも思い残すことはない」と解しています。


②ですが、後漢末鄭玄(じょうげん、127~200年)の注では、

「言うは、「君子、道に渇し、酔飽の心有るなく、死して後已まん」と」

あり、その解釈としては(宮崎定市さんによる)

「君子は朝から晩まで、ひたすら道を聞かんことを求めて努力し何時死んでも心残りない精神を続けるべきだ」


③魏の何晏(かあん、?~249年)の古注では

「言うは「将に死に至らんとして、世に道あることを聞かざるなり」と」

南朝梁の皇侃(おうがん、488~545年)の義疏では、

「世に道なきを歎ずるなり、ゆえに言う、もし朝に世に道あるを聞かば、夕に死するも恨みなし」

・・などと「この世に道なきを嘆く」とします。動乱の時代がそういわせるのでしょう。


⑤宋の刑昞(けいへい、10世紀)の疏では、

「朝に世に道あるを聞かば、夕に死するも恨みなし」ということだが、むしろ宋の時代になって、朝に道が聞けるような結構な時代になった、という心、らしい。


南宋朱子(1130~1200年)の新注で、

「道とは事物当然の理、苟もこれを聞けば、生きては順い、死して安んじ、また遺恨ないこと。朝夕とはその時の甚だ近きをいう」

となる、らしい。

(この項、『論語の新研究』宮崎市定さん、岩波書店、1974年、より)


⇒わずか、7文字の原文ですから、いろいろ斟酌して読むしかない。・・母国語のはずの中国の専門大家でもこれだけ違う、・・まあ違いを言わねば仕事にならない人たちであっても、です。もちろん、ニュアンスの差、といえばその通りですが、・・相当幅がある。理由はいろいろですが、前後の事情が見えない、状況が分からないから、がひとつ大きい。

(なお、宮崎さんは、清朝考証学が陽明の空疎な論を排撃しやがて朱子学をも排斥し、漢代古注を優先しようとするが、さすがに清朝考証もこの句については朱子に事実上同意した、という文脈で語られ、①⑥が正解、とのお立場です。念のため)

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もう一つ、前々記事「孟子」で取り上げた、例の「徳の賊」=「郷原」について、です。

子曰「郷原、徳之賊也」(陽貨第十七の12、通し番号447)
わずか六文字です、論語での前後の句は本物偽物の話をしていてヒントにはなりますが、事実上これも単独句でこれだけではよく意味がわかりません。前述とおり『孟子』がこの句を引いて長い論を展開していることは専門家は皆承知のはず、です。

それでも、今度は現代日本人学者の、この句の和訳を見ると以下の通り、みなさんニュアンス、は相当違っています。

①「郷原とは、郷党のある限られた人からまことの人と評判を得ているがその実がないものを指し郷党の俗人の気を迎えるに汲々とする一種の偽善者、・・自ら真に徳に進もうとの気構えを持たず、道徳の名を犯しむしろ道徳に害をなす。」(諸橋轍次さん、大修館「論語の講義」1954年)


②「教養や識見の低い一般の郷人の中で律義者と称せられる者は、俗人の人気を迎えるに汲々たる者で、かえって本当の徳を乱し害する賊である」(吉田賢抗さん、明治書院論語」1960年)


③「えせ君子は道徳どろぼうである、あるいは道徳を冒涜するものである」(吉川幸次郎さん、朝日新聞、1960年ころ?。=朝日選書2巻ものの「論語」下)


④「村でよいといわれる者は(いかにも道徳家にみえるから)徳を害うものだ」(金谷治さん、岩波文庫論語」1962年)


⑤「えせ君子は道徳の盗人である」(貝塚茂樹さん、中央公論孔子孟子」1966年、吉川さんの「えせ君子」を名訳と。)


⑥「郷里(くに)で善人だといわれて、いい気になっているやつは真の道徳の破壊者だ」(木村栄一さん、平凡社論語孟子書経礼記」1970年)


⑦「賞められ者になろうとしている青年ほど鼻持ちならぬものはない」(宮崎市定さん、岩波「論語の新研究」1974年)


ついでに、少しさかのぼって


⑧「郷原とは、世間の悪い慣わしに加わり、いかれた世間に迎合するため、自分の考えを表面に出さず、郷人からは慎み深いとよばれる人物、徳に似ているが本当の徳ではなく、本当の徳を乱すもの」(伊藤仁斎論語古義」)


⑨「一郷の人、みなが善人となすが、これを以って有徳の人を乱すに足るときは、有徳の人を妨害する。ゆえに言うこと然り。」(荻生徂徠論語徴」)


⇒こうしてみると、1960~70年代、戦後文化への反省・全学連全共闘毛沢東文化大革命の時代には・・論語(等古典)を全編通して読もうという雰囲気が広くあったのでしょう、この時期、この句に限らず全編通して集中的に沢山の方が書かれています。・・その後は関心も薄れ、まあ概論趣味的か、学界の方は部分専門化の印象・・う~ん、ですが、

⇒ご本である以上、それぞれいろいろな制約下で書かれているのでしょうが、・・やはり儒家を自認された吉川さんは簡潔で孔孟の「心」を捕らえている。・・その吉川さんは江戸時代では仁斎と徂徠が秀逸といいますが、まあこの辺は孟子解釈のコピー(仁斎)か変な制限をつけて読むか(徂徠)程度、です。

⇒まあ、孟子の読み=郷原は狂人狷者と対比しながら読むのがやはり孔子の思いに近い、あるいは孟子の時代の「原」論語には孟子にあるような本句についての背景説明がついていた、のかもしれません。
(狂人狷者は論語なら子路篇の21、通し番号323。・・なお備忘まで、この句については徂徠は理解していたとは思えない、意図的に無視してコメしなかったとは読めず、です。)

⇒この句についての結論を言えば、・・もし孔孟が今いれば「世のマスコミ・評論家たちは、真実と道を誤らせるものだ」と喝破したことでしょう(笑い)。
(つづく)

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